【日記】UNKNOWN WORLD

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昨年10月にデイリーポータルZさまに寄稿させていただいたフライドポテト比較記事が運よくバズり1.9万リツイートされた。

それがテレビ関係者の目に留まり、フライドポテトの専門家として超有名テレビ番組に出演しないかとの連絡が。

わざわざテレビ局の人が2人も東京から岡山までやってきて打合せをした。

打ち合わせは岡山駅前のマクドナルドで。僕のブログとか書いた記事がプリントアウトされていた。マクドナルドはすごく混んでいて周りのお客様に気取られない様にテレビ局の人は番組のタレントさんを「あの方」と言う。

どこか我が事として実感できなくて、というか、僕では役不足なのでは?テレビ局の人がそのうち「やっぱりすみません」と言ってきてポシャるだろうと高を括っていた。

だからあまり深く考えず「いいですよ」と言っていたらあれよあれよという間に話がきまっていった。

その後も電話でものすごく細かく打合せするのにはびっくりした。毎日のように1時間くらいガッツリと。

結局「やっぱりすみません」と言われることなかった。

 

収録日の前日に東京に入り、当日を迎える。めちゃ良いホテルだった。

テレビとかでよく見る控室も用意され「岡本智博様」と掲げられていた。

テレビ局は本当にきらびやかな世界で、スタジオのセットはほんの隅っこでさえも綺麗に塗装された作りものだった。

周りにあるもの全てが見た事がないものばかり。あまりにも普段の生活からかけ離れていたので夢の中のように現実感がない。僕の人生で近い体験は学芸会だろうか、緊張するしセットもあるし。

本番の時間が近づくと、行きたくもなかったがトイレに行く。僕の頭の中は、財布と携帯とテレビ局の入館証はどこに置けば良いのだろうか?と言う事だった。ここで良いのかな?まさか盗まれたりはしないだろうか?と思いつつもセット裏の長机に置く。

セットの影にスタンバイしていると、あの方がスタジオに入る声が聞こえ緊張感が一気に高まった。

名前を呼ばれスタジオに入る。

大小のカメラがこちらを向き、メインのカメラはそれはそれは大きく、そんな大きなカメラを使って映すほどの価値が僕にあるのかよと。スマホで撮ってくれればそんなに緊張しないものを!

カメラの向こうには日本中の人の目があると思ったら、真っ暗なレンズが怖くなった。これが本当に全国に流れるの?マジ?という感じもある。

テレビは見ている側だと効果音が付いたり、音楽がながれたりにぎやかな印象だが、実際の収録はとても静かだ。あの方と僕が交互に机の上に言葉を置いていく。あの方とは手が届くほどの距離だったし、実際手のぬくもりも感じた。

とにかく自分はこの場所には場違いで今までのちょっとした経験さえ通用しない気がしていた。

そして実際あまり通用しなかった。緊張しすぎて椅子の背もたれに背中を付けることも無かった。

うまくやれなくて番組始まって以来の大惨事じゃなかろうか。なによりテレビ局の人に大迷惑をかけてしまったと後悔しかない。

そして収録を終えホテルに戻っても場違いな感じはつきまとった。

 

新幹線で岡山に戻り、近所の古い建物の外壁の板が外れてるのをみて、あの完璧な作りものの世界からやっと戻ってこれた気がした。

普段の僕は「なんか面白い事ないかな」とよく言っているが、あまりに強い刺激に晒されるとむしろ日常が恋しくなるということが分かった。

眠るとあの場面に戻って上手くしゃべれないという夢を何度も見たし、スタジオのセットの壁に黄色いトレーみたいな飾りがあるのだが、カレーのルーを入れる黄色いトレーを見たらフラッシュバックした。まじで。

さらに放送日が近づくにつれ、事態の大きさに気付いて怖くなってきた。あのダメダメな内容が放送されたら世間から後ろ指をさされるんじゃないかと。放送当日、僕は放送を見る勇気がなく近くの温泉に逃げ込んだ。

僕の出番が終わったかな?くらいの時間に浴場から出てスマホを見ると友達からたくさんメッセージが来ている。恐る恐る「どうだった?」と聞いたが口を揃えて「よかった」と。

それを確認して次にTwitterの反応も見るが、そこでも好評だった。最後に2ちゃんねるを見たがそれも好評だった。

結果的に番組は大好評だったようで、視聴率も反響もよかったと局の人から聞いた。

SNSの反応は膨大でその日の明け方くらいまで反応を見て過ごした。目が冴えて眠れなかったのもある。

放送の翌日、勇気を出して録画していた番組を見る。恥ずかし過ぎて何回かに分けて見た。

テレビの中のあの男はそれなりにちゃんと喋っていた。確かにしゃべっている内容は断片的には記憶にあるけど、もっと咬んだはずだ。そして、もっとオドオドしているだろうと思っていた。けどそこまで気にならなかった。

番組のスタッフさんの編集の力が凄かったのだ。

とにかく現実離れした体験だった。と同時に、今にして思えば夢だったようにも、遠い出来事だったようにも感じられる。

なんというか、負担は大きかったがよい経験だった。