風土や歴史を神格化しすぎて自縄自縛

標準

作業しながらテレビをつけていたら富山県のガラス細工を取り上げていた。
富山県でガラス細工が発展したのは薬瓶を作っていたからだとのこと。富山の薬売りは有名だ。

別の日には福井県の鯖江のメガネを取り上げていたが、
鯖江でメガネ産業が発展したのは冬期の農作業ができない間の内職かららしい。

 

どちらも「なるほど」と思うしすごくわかりやすい。視後感※も良い。(※読後感のテレビに相当する言葉がないっぽかったので勝手に作った)

 

しかし「風土」や「歴史」といった理由づけが地方ではちょっと必要とされすぎてるんじゃないか。

 

地方で新しいをやろうとすると「なぜそれを地方でやるのか?」「地域性とのつながりは?」と、あらかじめ物語や意義を求められる。

もしこれが東京だったら新しいものが新しいものとして紹介されるハズ。

 

そういえば以前Hicarix Badgeを秋葉原のお店でも取り扱っていただいていた(現在は閉店)。その打ち上げで岡山から来たと言うと店員さんから「東京の人が作ってると思ってました」と言われたことがある。僕は誉め言葉だと受け取ったけど。

 

地方の資源を活用しようっていうのもいいが、それが逆に足かせになって自由な発想や、徒手空拳で新しいこと始めるみたいなことってやりにくく(やらなく)なってない?

考えてみると最初に鯖江でメガネ作りを始めた人は「なぜ福井でメガネなのか?」などと問われることもなく始めたんじゃないか。富山の薬売りにしても、最初の一歩は極めて実践的な動機だったはず。

 

あと最近世の中が歴史好きになってきている気がする。なんとなく。

 

 

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